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ねことアイマスSSの感想らしきもの

どうもこんばんは。ひつじのおともだちのねこです。名前はあります。ねこです。
はじめまして。よろしくね!

SS感想を書いてみたいなあなんて言っていたら作者さんにオッケーをもらえたので、
今回ひつじの代わりに投稿することになりました。

今回取り上げるのはカニバリズム要素を含む作品ですので、
その点納得した上でお読みいただければと思います。






『ふたりのかにばる』(著:とらの)を読んで
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=796339
1ねん3くみ ねこ



>彼女いわく、『かにばりずむ』という言葉は美しくないのだとか。

 というちょっと刺激的な一文からこの作品は始まります。登場するのは、春香のことを「食べてしまいたい」貴音。そして、貴音に「食べられたい」春香。

 彼女たちの利害は一致しており、そのまま食事が終るかと思いきや、そうストレートにはいかない。なぜなら彼女達はアイドルであり、人間であり、その枠の中で生きていかなくてはならない。逸脱は許されないのだ、と彼女たちは思っているからだ。

*

 突然ですが、「自分」とは何かという事を考えたことはありますでしょうか。俗に言う自分探しですよ。良いですよねえ、私もかれこれピー年やっていますが、未だに……。まあねこの話はおいといて、「自分」について。身長体重や顔の形といった物理的なものや、何が好きで何が嫌いかといった精神的なもの、それらを統合し「自分」とするあたりが落とし所でしょう。

 作品内の彼女たちが、どうやって「自分」に辿り着いたのかは描かれていません。ですが、彼女たちは探しだした「自分」よりも大事なものがあると考えています。それは、アイドルである・人間であるという「社会的な立場」。

 「社会的な立場」とはどういうものか、人間という事を例に考えてみましょう。ひつじ(仮)という名前の生き物が、私は人間でーすと主張したところで、社会的にはひつじ(仮)は人間として認められません。認められる為には、ひつじ(仮)を見た誰かが、ああこの生き物は人間なのだな、と認識する必要があるのです。人間と書いた部分を他の適当な言葉(アイドルとかポン酢とか)に置き換えてみると面白いという事はともかく、「社会的な立場」とは他人からのイメージの押し付けであったり、レッテル貼りであったり、偏見であったりするわけです。つまり、ひつじ(仮)が人間宣言をしても、周りの人がジンギスカンだと認識していた場合には、残念ながらおいしく頂かれてしまうわけですね。ポン酢とかで。

*

 ところで、この話のキモになる春香さんの「自分」、被食という望みについて。

 性的倒錯の中で被食と関連するものといえば「ボラレフィリア」という区分があります。被食者の原型を残したまま丸のみされるというシチュエーションに興奮を得るもので、日本においては体内侵入・探索(エンドソーマフィリア)とセットで語られる事が多いようです。ただこの場合はちょっと春香さんの欲求(食べられて血肉となりたい)とはズレていますよね。

 もう一つ該当しそうなものは、「マゾヒズム」。苦痛や羞恥心などによって快感を得るというお馴染みのものです。確かに春香さんは「食べられる痛み」を望んでいました。しかし、痛みが主目的ではないことから、掠っているといった所でしょう。

 最後の可能性としては、性的倒錯ではないのですが、一番好きな人に殺されたいという他殺願望ですね。直接的な描写はありませんが、相手を獣に例えてみたり、自身が家畜であればという描写から推察するに、春香さんは貴音さんに生殺与奪を握られる事を期待していると考えられます。

 一方の貴音さんは、人肉を食べてみたいと言っておられるし、カニバリズムじゃないですかねえ。その動機が何にせよ。彼女にとっては美しくないかもしれませんけども……。

*

 二人はそういう「自分」よりも、「社会的な立場」を選びました。だからきっと、彼女たちはいつまでも満たされない。なんせ彼女たちの社会的な立場は、そんな簡単には変わらないからだ。アイドルという存在には賞味期限があるのでいつか辞めざるをえませんが、人間を辞める日はそれこそ死ぬまで来ない。

 ただし彼女たちは「自分」を捨ててしまったわけではありません。きっと今日のような逢瀬を何度も続けて、その度に「自分」に呼び止められて、向き合って、目を逸らす。そんなループの光景が見えてくる。文字数としては1000文字強と短めの作品ですが、塔の中で終わりのない階段を登っているかのような感覚と、階段を登り終えた後にあるだろう景色を幻視させてくれるような、素敵な作品でした。



*



 しかし、魚や野菜を食べるなどで欲求の代替が可能な貴音さんに比べると、春香さんはその点どうしようもないわけで、これそのうちヤンデ(感想はここで途切れている)

comment

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ア・バオ・ア・クゥー

>>ただし彼女たちは「自分」を捨ててしまったわけではありません。
>>きっと今日のような逢瀬を何度も続けて、その度に「自分」に呼び止められて、向き合って、目を逸らす。そんなループの光景が見えてくる。

>>塔の中で終わりのない階段を登っているかのような感覚と、階段を登り終えた後にあるだろう景色

『ア・バオ・ア・クゥー』なる幻獣が棲むというインド、チトールの『勝利の塔』の頂上の光景もまたこのようなものではないのかと、ふとそんなことを思いました。
ア・バオ・ア・クゥーはこの塔に昇る巡礼者が一段ごと段を踏むたびに、体の姿が完全となり青みを帯びた光を強く放ちだす。その姿が本当に完全なものになるのは巡礼者が塔の頂点を究めた時であるのだが、長い時のなかでもこの獣が完全な姿になったのはただの一度きりであるという。
ひょっとするとこの不思議な逸話の中の獣は、ねこ氏の言う「自分」の隠喩なのではないかと考えた次第。

 参考文献:ボルヘス『幻獣事典』
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